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2017.10.06

< WAZA - Craftsman work 5th > Charm of a rakugo III

  • Category culture

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< 技 - WAZAシリーズ 第5回 > 第三話

 

落語の魅力③

 

 いよいよ第三回となる今回はこんな事を知っていればちょっとした落語通を自負できるであろう、というような名人伝説の豆知識をご紹介してみたいと思います。

 

 

落語(上級編)

 

 まずは名人の逸話として昭和の名人文楽・円生・志ん生という、我々噺家にとっては神様のような方々の逸話を中心にお話をさせて戴きましょう。

 

 始めに、八代目 桂文楽師匠、この師匠は「写実の文楽」とあだ名されるほど情景描写の的確さや人物の描き方に緻密さを極めた方で、当時ラジオ録音に何度か望んだ際に数十分のネタにも関わらず、録音時間が毎回数秒しか変わらなかったという逸話は有名な話しとなっています。また、その完璧さから引退の時も一言詰まったところで「勉強し直して参ります」と言って高座を降りた後、二度と舞台には上がらなかったというストイックな師匠であったことも事実です。

 

 次に 六代目 三遊亭円生師匠、幼小の頃より芸事に精通していたこの師匠は、豊竹豆仮名太夫という芸名で子供でありながら寄席に出演していました。十歳の時に噺家に転向するという芸歴の長い方で(芸歴でいえばたぶんダントツ?)、ネタの豊富さや完成度においても右に出る者がいないことは間違いのないところ。現在まで残っている音源の「円生百席」など、落語界にも多大なる遺産を残してくれた巨匠で、逆に芸事に長じていたために、酔っ払いの八つあんが都々逸をうたう場面でうまくうたい過ぎて、お客様に「酔っ払いがあんなに上手い都々逸はおかしい」と言われた、という凄い逸話も円生師匠ならばさもありなんです。

 

 ここまで書くと難しい師匠のように思われるかもしれませんが、遊びの部分では実に粋な方だったそうで、特に花柳界などではモテモテで(芸者さんの三味線で乙な端唄等唄ったりしたそうで)、七十九歳で亡くなった折にも大勢のご婦人が焼香に訪れたという、羨ましい話が残っています。

 

 ここで、先輩の師匠に聞いた両師匠の芸談の逸話を一つ。若手真打ちのやっていた「夢金」という落語の中で、(夢の中で)船頭が屋根船の中を覗く下りがあり、高座から下りてきたその若手に対し文楽師匠が、「君ね、あそこは障子を少し開けないと中は見えませんよ」と注意をすると、それを聞いた円生師匠は「いいんですよ、夢だから見えるんです」と言ったそうだ。どちらも正解で、落語という芸の奥深さを感じる逸話だなあと思わされました。

 

 さあ、いよいよ次にご紹介をさせて戴きますのが 五代目 古今亭志ん生師匠。この方は破天荒な生き様自体が落語そのもののような師匠で、貧乏長屋に住んでいた頃の伝記やら、お酒の大好きな性格やらの様々な武勇伝?を残されています。本当に落語の登場人物を地でゆくようなキャラクターの人物です。もちろんそれだけの事ならば他にもあの時代には似たような暮らしをしていた人はいたかもしれませんが、志ん生師匠の凄さはその経験に裏打ちされた、市井の人々の了見を体現し面白く落語に添加しているところでしょう。若い頃、貧乏故に借金取りから逃げる為に芸名を数十回変えたり、壁になめくじのはっている長屋に暮らしたり、とても今の人には考えられない経験を積んだそうです。

 

 お酒については大地震(関東大震災か?)の時に行きつけの酒屋に駆け込んで倒れた酒樽から酒を存分に呑み、したたかに酔って地震の揺れが収まった時には志ん生師匠だけが揺れていた、という逸話もまんざらウソとは思えないくらいの酒豪で、晩年豊かになってからも酒屋で一杯引っかけてから高座に上がっていた、というのも本当の話です。もう一つこの師匠の凄いところは物事の例えが絶妙で、落語の中で自分の亭主に不満のある女房の様子を「百万年前のトカゲみたいな顔」と例えたり、自分の弟子が家の前でキャッチボールをしているところを見て「町工場の昼休み」と言ってみたりと、実に的確なフレーズを当てはめる事が得意だったのもこの師匠の魅力でしょう。前二人の師匠に対して、面白い落語という点ではこの師匠の名前を上げる落語ファンが多いのも納得の名人で、因みに女優の池波志乃さんのお爺さんとしても知られています。

 

 このお三方の他にも笑点などでよく木久扇師匠がものまねをしている 八代目 林家正蔵師匠も逸話の多い師匠です。よく楽屋でも難しい本を読んでいたそうで、物知りで有名でした。ある日お弟子さんの一人がカビの生えたお供えをみて「師匠、どうして餅にカビ生えるんでしょうねぇ?」という問いに対して「そりゃおまえ・・・早く喰わねえからだよ」と言ったとか?言わないとか?

 

 昭和の頃の寄席や落語会にはこんな師匠連がズラリと出演していましたが、今だって妙な感性をもった様々な噺家が高座の方では手ぐすね引いてお待ちしておりますので、是非是非、落語を楽しんで戴きたく、ご来場の程宜しくお願い申し上げます。

 

(文 三遊亭小円楽)

 

噺家

三遊亭小円楽

Sanyutei Koenraku

昭和35年6月12日生まれ。昭和55年12月会社員を経て、五代目三遊亭円楽に入門、「三遊亭かつお」を名乗る。昭和58年10月1日「かつお」のまま二ッ目昇進。昭和63年3月1日三遊亭小円楽に改名し、真打昇進。平成3年7月には国立演芸場若手花形演芸会「銀賞」を受賞している。
趣味の映画鑑賞では、平成27年より日本ファッション協会のシネマ夢倶楽部推薦委員に就任、年間200本ペースで映画の試写に参加しており、日本で一番試写室にいる落語家と自負している。テニスでは落語テニス倶楽部総監督、その他シナリオライティングなども行っている。
特技は、長唄、端唄、サーカスや法事などの変わり種司会。
主な出演番組
日本テレビ「笑点」 アシスタント 昭和57~58年
江東ケーブルテレビ「見たい知りたい江東区」 平成4~7年
CM出演
千代田生命「スーパーグランプリ」
高橋酒造「白岳・電車編」2005年
出ばやし
「外記猿」「奴の行列」

三遊亭小円楽の館
http://www4.point.ne.jp/~koenraku/
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