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2018.03.20

東京オリンピックへの光景 第三回 夢の超特急・新幹線

  • Category CULTURE

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東京オリンピックへの光景 第三回 夢の超特急・新幹線

 

昭和34 (1959) 年、新幹線の起工式は国鉄十河総裁、技師長島秀雄ら国鉄幹部らが列席し、新丹那トンネルの東側の入り口で行われた。工事の期限は昭和39年 (1964) 年の10月1日。高速走行を可能にするために、全線踏切のない立体交差式の広軌複線をわずか5年間で完成させようという計画だ。驚くべきことに、東京オリンピックの開催初日は昭和39年の10月10日だ。完成期限からオリンピックまで10日もない。無理に無理をしたのだ。どれほど新幹線を間に合わせたかったか、関係者の思い入れが分かる。世界中の人々に日本のとびぬけた技術力を見せたかったのだろう。日本の威信をかけた突貫工事の始まりであった。

 

当時の世界の営業列車の時速は160キロと考えられていた。200キロを超えて営業する鉄道は世界に例がなかった。瞬間的に高速走行はできても、脱線の危険性が常にあったのだ。新幹線の実用のためには、レールやパンタグラフ、車体強度をはじめ173もの課題があった。国鉄本社と国鉄研究所の技術者が大動員された。

その中で私が会った技術者を紹介したい。

 

松平精は旧海軍の技術者で、異常振動によるゼロ戦の空中分解事故を解決した男である。

列車の場合、速度を上げると突然、列車の車輪は蛇がのたうつように揺れ始める。蛇行道と呼ばれる現象である。松平は台車に使われる特殊なバネ装置を開発し、振動をバネの段階で吸収し列車本体の揺れを防ぐ研究を成し遂げた。松平が、ゼロ戦の優れた技術者でなければとても出来ない開発であったといわれる。

松平の言葉がある。

「高速化のためには、蛇行道の防止が重要な問題なんです。これを征伐しないと、気が済まないという気持ちでしたね」

もうひとつの大きな技術があった。

 

ATCシステム (自動列車制御装置) だ。時速200キロを超えると運転手の一瞬のミスが大事故につながる。緊急時に列車を止める装置が不可欠であった。担当したのは元陸軍科学研究所の技術将校河邉一だった。河邉はレールに可聴周波 (低周波) の信号を流し、列車を制御する研究に明け暮れ、完成させた。

NHKのスタジオで、お二人にお会いしたが世紀の大仕事を成し遂げた堂々とした態度に、深い感銘を覚えた。

 

 

新幹線が半世紀の歳月の間、世界一快適で安全な乗り物として走り続けてきたことはみなさんご存じのとおりである。

 

現在、東海道山陽新幹線の次期モデルはN700Sである。

最先端の技術が詰め込まれた。

2020年、東京オリンピック開催年に投入される。

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