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2020.04.08

新宿西口の顔 地下広場・地下駐車場

  • Category CULTURE

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新宿西口広場・地下駐車場

 

 新宿駅は、1日の平均乗降客数(2016年)が世界一としてギネスブックに認定されたマンモス駅である。かつて青梅口と呼ばれた新宿西口は、現代史上も注目される事件があった場所である。新宿駅西口地下広場(通称・新宿西口広場)は、1969年に反戦を目的とした大規模な反戦フォーク集会が行われた場所として知られている。1980年には西口バスターミナルで停車中のバスに放火する事件がおきた。1981年には西口に住所不定者の相談所が開設され、1996年には路上生活者が西口の地下道から強制的に排除されたというニュースが流れた。動く歩道の設置に伴う排除であったと記憶しており、撤去反対や動く歩道建設反対、当時の青島都知事を非難する言葉が示されていたことを覚えている。

 

 これらはすべて、新宿西口広場・地下駐車場が1966年11月25日に完成し、翌日から使用が開始されて以降の出来事である。西口が注目される場となったことを示しているともいえる。設計を行ったのは、前川國男と共に日本人として世界に知られた最初期の建築家の一人である坂倉準三である。坂倉は、昭和6~11年まで近代建築の巨匠ル・コルビュジェに学んだ建築家で、昭和12年パリ万国博覧会日本館の設計で一躍国内外から注目を集めるようになる。

 

 新宿西口広場・地下駐車場は、坂倉の代表作の一つである。坂倉は、当時、小田急線と京王線の沿線開発が進む中で、新宿駅を起点に各交通機関を一つに繋ぎあわせることを目的に、西口に地下広場を設ける提案を行った。昭和34年開通の地下鉄の地下レベルを基準に地下空間を拡充、再構成し、商店街を備えた地下広場を設けた。鉄道を含めた各交通機関の乗降客を地下広場で結び付けることで、タクシーやバス、車と、人の動線とを分離することを実現した。地上部分には開放的な吹き抜けを設けて螺旋状のスロープを設置し、車を地下駐車場へと導いている。この吹き抜けによって、地下空間への採光と通風を実現している。西口を印象付けている螺旋状のスロープの中央地下には噴水を設けている。完成した年には、乗車人数が日本一になったという。

 

 坂倉は1969年に逝去したが、直前の1967年11月にはSRC造14階建て、地下3階建ての新宿西口駅本屋ビル(1964年12月着工)が竣工した。日本初の超高層ビルである高さ147mの霞ヶ関ビルが1965年着工、1968年竣工であることを考えると、最高高さ62.15mは十分に高いビルであった。こちらも西口の顔として健在である。

 

参考:新建築1967年3月号
   新建築1968年3月号
   建築ガイドブック東日本編 増補版、新建築社、1983

 

博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役

二村 悟

Satoru Nimura

受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか

静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。
東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。
現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。

主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010

花野果 HANAYAKA
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