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2018.07.11

東京オリンピックへの光景 第六回 首都高速道路の空中作戦

  • Category CULTURE

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東京オリンピックへの光景 第六回 首都高速道路の空中作戦

 

「首都高速道路 (通称首都高速)」は、1日100万台以上の自動車が通行する日本屈指の大動脈である。8本を数える放射線道路は、東名や中央、東北・磐城自動車道路と結ばれ、総延長は319キロに達する。なんといっても圧巻なのは、都内中心部を走る1周18キロの「中央環状線」付近の構造である。ビルの谷間を縫い、大小、様々なカーブが抜け、トンネルもあれば、合流点もある複雑さである。

欧米の技術者は、驚異の道路と呼ぶ。

首都高速が一本の道としてつながったのは昭和39年 (1964年) 10月1日だった。それは、なんとオリンピック開催の9日前である。

 

戦後日本は自動車立国への道を歩み始めた。昭和20年 (1945年) 当時、東京の自動車台数は4万台であったが、昭和33年 (1958年) には40万台に増え、年間3万台のペースで増加していた。オリンピック開催の5年前、東京都庁都市計画本部が試算したところ大問題が浮かび上がった。オリンピック開催期間中、外国選手や観客が到着する羽田空港から競技会場や宿舎となる代々木までの移動に2時間がかかるというものであった。原因は、東京の慢性的な病となっていた大渋滞であった。

 

対策としては、幹線道路を至急建設し、車線数を増やすことしかなかった。しかし、期限はわずかに5年。羽田空港から代々木までビルがひしめく東京で用地を買収して道路を作るのは不可能であるとされた。その時、都市計画部長である山田正雄が、とんでもないアイデアを出した。空中作戦である。いますでにある道路の上や、街中を流れる河川に沿って、その上に高架橋の道路を作れば、用地買収の手間が一気に省け、5年間の短い期間でも工事がやり遂げられ、渋滞が解消できるという前代未聞の作戦であった。

 

まもなく、空中道路の全容が決まった。郊外から都心部へ向かう経路は、いまある東海道や甲州街道の上空を使う。中心部に作る環状線は、ビルの谷間を流れる川の上や、皇居の堀の上を使う。八つの放射線と環状線。合わせた総延長はおよそ71キロメートル。一般道からの出入り口は、92か所とするものだった。

 

しかし、難問が次々に持ち上がった。東京の道路は、江戸時代以来、すべて日本橋で合流するように作られている。旧来の道路の上に作る首都高速も日本橋でひとつに合流させるしかなかった。しかし、首都高速道路は三重構造。それを支える橋脚は100本必要だった。100本もの橋脚を日本橋川に立てれば、川の流れが止まり、水が溢れ出すのは明白であった。さらに計画では環状線の一部は、皇居のお堀の上に建設する予定であったが、公安関係者から待ったがかかったのである。皇居が見下ろせたら警備上問題があるというのが理由であった。

いかにして問題を克服したのか。

橋脚の問題は立体ラーメン構造と呼ばれるビル建設の技術を導入、橋脚の数を3分の1に抑えることに成功した。

 

皇居の上を通す案の代わりに発想の転換でトンネルを掘る技術を導入し、皇居西側にある千代田区三宅坂の下を掘りぬいたのである。

オリンピックに向かう人々の情熱は、各分野で狂気とも呼べる凄まじいものであった。

それだけ戦後復興に向かう中で、日本人一人一人が背負ったものが大きかったのだなと、当時のことを知るにつけ感慨を深くする。東京オリンピックが近づく中、次々に新たな道が生まれている。2017年には、湾岸線南本牧ふ頭出入り口が開通。今年3月には10号晴海線晴海―豊洲が開通した。

 

写真参照:Instagram

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