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2018.05.22

東京オリンピックへの光景 第五回 東洋一の巨大ホテル建設

  • Category CULTURE

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東京オリンピックへの光景 第五回 東洋一の巨大ホテル建設

 

2020年の東京オリンピック、一体どれだけの人が世界からやってくるのだろう?ロンドンオリンピックのチケット販売数は800万枚を超えた。試算によれば、今回の東京オリンピックは1000万人を超す人たちがやってきて東京は二倍に膨れ上がるという。その対策は今から大きな課題となっている。

昭和39年のオリンピックでも、宿泊施設の問題は極めて深刻であった。

その解決の舞台となったのは、千代田区紀尾井町。超一等地にそびえ立つ「ホテルニューオータニ」、ザ・メインである。

 

三ツ矢型の構造物の上に、都内を一望できる円形のラウンジ「ブルースカイ」を載せたユニークな外観。このホテルが、日本の建築市場類例のない経緯と僅か一年半の突貫工事で作られたことはあまり知られていない。

ホテルニューオータニの開業は昭和39年 (1964年) 9月1日である。堂々とした姿からより歴史あるホテルと思っていたが、意外にも新しい。ホテル開業の日は、東京オリンピックの1か月前であった。当時圧倒的に不足していた外国人向け宿泊施設の確保が巨大ホテル建設の引き金になったのだ。

昭和39年のオリンピックの2年前、「東京都オリンピック準備局」が中心になって作成された報告書をめぐり大騒ぎが起きた。オリンピック開催時に、東京にやってくる外国人観光客について試算したところ「1日に3万人」とういう数字が出たのである。これは大方の予想をはるかに超えた。当時の施設状況を調べたところ、外国人客に対応できるホテル・旅館の収容人員はわずかに7500人であった。実に1日当たり、22000人以上の外国人観光客が泊るところもなく、溢れ出す計算になったのだ。


対策として、ユースホステルの有効活用で数千室。和風旅館に融資を行い外国人向けに部屋を改造してもらい3000室を確保。民泊制度を導入し一般家庭に「外国人を泊めて」と頼み、1500人分と計算した。しかしまだ、足りなかった。

その時、持ち上がったのが都内に東洋一の巨大ホテルを建設するというものであった。だがオリンピックまで1年半しかない。公共の予算でホテルを作るわけにはいかない。その中、名乗り出た老実業家がいた。オリンピックの開かれる国立競技場に近い紀尾井町に二万坪もの広大な自宅を持つ大谷米太郎 (よねたろう) 81歳であった。


「男の仕事として国に協力したい」と大谷は申し出た。

 

大谷は異色の経歴の持ち主であった。元は大相撲の力士である。鷲尾嶽というしこ名で十両目前まで行ったが三十四歳で引退。鋼材加工用の事業に乗り出し、巨万の富を得て、鉄鋼王と呼ばれた。大谷の男意気に、八幡製鉄社長稲山嘉寛らが全面的な支援を約束し、史上例のない突貫工事でのホテル建設が始まったのである。建設は大成建設。この工事、実はその後の日本の構造物と日本人の暮らしに大きな関りを持つ技術をたくさん産んでいる。ひとつはカーテンウォール工法である。ガラスやアルミ、鉄などを材料とする壁を現場ではなく、工場で一括大量生産し、天井からカーテンのようにつるす工法で、その後の高層ビル建設の時代の扉を開いたといえる。もうひとつはユニットバス工法である。


時間内工事の中で、バスとトイレをまとめて組み込む工法も、このホテル建設において世界で初めて試されたのである。

 

さて、今回のオリンピック、いかなる方法で乗り切るのだろう。間もなく民泊新法が成立し、大きな動きが始まる。

 

 

写真参照:Panasonic home, Instagram

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