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2019.02.12

我最喜欢的“形式和风景” ②冈本公园私人公园

  • Category culture

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私の好きな "かたちと風景" ②岡本公園民家園

 

 

 二子玉川駅から徒歩20分、バスで15分ほどのところに緑地帯が広がっていることをご存知だろうか。東側には旧小坂緑地と旧小坂家住宅、中央には岡本静嘉堂緑地と静嘉堂文庫と岩崎家廟、西側には岡本公園と岡本公園民家園と、それぞれ緑地と歴史的建造物がセットで存在する。今回は、この中で岡本公園民家園に注目する。

 

 岡本公園民家園は、昭和55年12月に開園した民家園である。敷地内には、旧長崎家住宅主屋(江戸時代後期)、旧浦野家住宅土蔵(江戸時代末期)、旧横尾家住宅腕木門(大正13年)が移築され、岡本隧道(大正12年)が残されている。主屋は世田谷区指定有形文化財第1号、土蔵は区指定有形民俗文化財第1号である。

 

 旧長崎家住宅主屋は、文政期(1818-1831年)に村役の一つである百姓代(百姓の代表者)を勤めた家柄である。一見すると、移築保存された民家としては小規模に見える。そこがこの主屋の特徴でもある。多くの場合、保存される百姓の古民家は村役の中でも庄屋や名主、組頭などのものが多く、その場合は間口がもう少し広い。つまり、部屋数が広間の場合を含めて5~6部屋くらいの規模になる。旧長崎家も村役の一つではあるが、村の責任者である庄屋や名主、彼らを補佐する組頭や年寄に比べると、百姓の代表者は少し格が落ちる。昭和30~40年代に解体が進んだことで古民家が注目され、規模の大きな立派な民家から順次保存されていったため、一般庶民としての百姓の民家はこれらに比べると母数は多いが現存数の割合は低い。そのため、式台を持つような別の玄関はなく、常時の出入口のみである。外観上は、柱を見せた真壁造の土壁である。

 

 間取りは、当初は土間に面して開放された広い部屋の付く広間型の民家であったと考えられているが、現在の姿は喰い違い四間取形式である。これは百姓代になった際に、接客や格式のために増改築されたためと考えられている。改造の際に、広間を二分し、柱を抜いて差鴨居を入れた広い部屋に改造したと考えられている。立場上、接客の場は不可避となり、この際に正面の奥の部屋に床の間と平書院を設けと考えられている。

 

 岡本公園民家園の良さは、別々の建物とはいえ、江戸時代後期の農家の様子をコンパクトな規模の中で体験できることである。移築された民家の場合、多くはもとの風景と切り離されるので敷地には屋敷感がなく、公園に移築された民家、というさっぱりとした雰囲気となるが、緑に包まれたこの場所にはさも住まいがあったかのような趣がある。

 

 

参考文献:
パンフレット ようこそ民家園へ、世田谷区

日本建築学会編:総覧日本の建築 東京、新建築社、1987

博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役

二村 悟

Satoru Nimura

受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか

静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。
東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。
現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。

主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010

花野果 HANAYAKA
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